アカシア食堂レモンの記2

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discover a gold mine 脱いでいく旅リベンジ【序章】 日本一の清流・仁淀川カヌーキャンプ

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1年前、このブログに「脱いでいく旅」という旅行記録を書いていた。それはいまだに書き書けのまま放置してある。放置してあるのに、さらに10か月後にあたる今GW、次の旅に行ってしまった。

今回こそ書き切りたい。だいたい感想や体験記はその週のうちぐらいホットな時に書くのがいちばんいい。
寝かせるなら書いてからにしてよ。体から、経験も、風景も、零れ落ちて行ってしまうよ?(ささやきは常に自分→自分)
 
だから、脱いでいく旅リベンジ、として、あえて今宣言しておこうと思う。
自分との約束を破るとかなり凹むぞー。

5・6冊目の定点観測空写真集できました 清明、穀雨の巻

溜めていた空の定点観測の写真集を2つ作った。

 

もう2つの節をまたいでしまった。

季節はどんどんと過ぎる。

忙しかったのか、何をしていたのか上手く思出せないので、この際忘れてしまおう。

 

直近で、高知に行った。なので今回の写真集には、高知の空が入っている。

 間の上空も入っている。

 

高知県四万十川の隣にある、仁淀川という川へ行った。

電気もトイレもない場所にキャンプを張り、日本一の清流の中でカヌーに乗って過ごしてきた。これについては別途書きたい。旅の記録。

以前に、北海道のカヌーの様子を書くのに途中で止まっている。リベンジで書きたい。旅の余韻がまだ残っている内に。 

写真は小さくして全部並べてみると面白い。引きでみると気が付くことなどもある。

 

グーグルで航空写真のマップを見るのも、近場から、どんどんと広くしていって、また近くして見る、ということをよくやる。

近くに何があるか、というを見つけて驚いたり不思議に思ったりする。案外近いとか、この川はこことつながっていたとか。

 関係性がわかると、自分がどこにいるのかがよくわかる。

 

相場の(ドル円など)の動きも見ているととても面白い。

1分→15分→30分→1時間→4時間→日足と、同じ波の動きを時間軸を変えてみると、波が全く違う動きで見える。

 

寄りでみる、引きで見る、を繰り返す。

 この行為はTVゲームなみに、はまる。面白い。癖になる。中毒になる。

マクロ→ミクロ→マクロ、この繰り返しを、ただ、見て居たいとなる。

 

それをやっているとあんまりにも楽しくて、目的地に到着するのが遅くなったりしてね(地図見てるときの注意)。

 

今回は、途中飛行機に乗って雲の上のいつも見上げている空のその中に入り込んだ。いい写真がたくさん撮れた。空の中にいるというだけで、テンションはハイの極みに簡単に到達する。そうして一人で飛行機の中で涙ぐむ。空と一体になっているような恍惚感。圧倒的な白と青。光。その光に包まれてあっという間に眠ってしまった。

 

高知の空は優しくまろやかだった。空気感は台湾に似ている。雨の量がとても多い地域と聞いて納得した。(しかし圧倒的な晴女力で、まったく降られなかったけれど)

雲がどんどんとできる。なぜか高知の土地に立つと空が東京より近い感じがするのは、この雲が大きく表情が豊かなせいだと思った。空は等しく同じはずなのにこんなにも違う表情。

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ミューズを持つ

ひそやかに続いている連載:兆しのストーリーとして昨日、初めての講談を聴きにいった。BAR BOSSA で神田松之丞さんの独演会。凄い熱量と圧倒。あーすごいもの見た、ありえない至近距離で。とまあ、その話は書き溜めている兆しへゆずるとして、たっての願いで同行してもらった漫画家の友人と一緒に向かう。

 

物を作ることを話せる数少ない友達で作っているもののジャンルは違えども、作る、という事に向かっている共通性、彼女の冷静かつストイックな視点は、私を開く。

 

彼女の、聴いてほしいポイントを的確について押し開き、見事な引き出し方で吸収するという聞き方に、魔法にかけられたように、あるいは、何かのツボを押されたように、私はどんどんと話していく。

 

最近本を作りこんでいるという大量のアウトプット時期で、他に書いたり話したりほとんどしていなく、したいとも思わなかったので、自分がまさかこんなにも饒舌に話すとは思っていなかったために自分が一番驚いているという始末。

 

滔々と口から言葉が出て、それを斜め上から物見遊山のように見物する自分を感じつつ、野口晴哉氏の野口整体でいうところの活元運動のような自動運動が起こり続ける。

 

これは明らかに、私だけが話している時には起こる現象ではなく、双方向に気が循環し、力まずにも的確に聴き手がいい加減に聴いてくれるという循環が起きない限りは起こり得ない現象。聴くというのも相性であり技術でもあり、あり方の反映。

 

私の話の止まらないのを察して、時間を長くとって聞いてくれた友人の配慮に甘えて存分に話す。

帰りは思いもかけずに夜中となったけれども、私の体も心すっきりと軽く、肌に当たる夜風や、路傍に咲いている花の匂いが、ようやく体に入ってくるように感知することができて、ひょいとシャッターを押していた。気が付いたら、写真を撮って作っていくときのあの呼吸とリズムが戻っていた。

 

彼女はミューズだなと思った。思い出した作り手のミューズの話。

昔、詩人やら画家などの芸術家の伝記を読むと、そこには必ず、創作を刺激する存在がある。創造の女神みたいだから、ミューズ。どんな形でもいいのだけれど、会って刺激を受けて作品が生まれる、その刺激となる人物。ココシャネルも色んな人のミューズだったし、各詩人もそれぞれにライバルやらミューズやらを持っていた。ミューズもまた作り手。存在が創造。

 

話すことなど何もないと思っている時に、思いもかけない方向から救われるようにしてミューズと夜の会合。たどってみれば、講談の神田さんをよんだBARのご主人もまた書き手、神田さんの講談もまた圧倒的作品、皆作り手。そこから影響ははじまっている。

 

ご主人林さんはリズムと流れと空間のある文を紡ぐ書き手。圧倒的な神田さんの講談は歌とリズムと躍動そのもの。作り手の呼吸に触れると創作の呼吸を取り戻す。私は止めていた息に気が付いて呼吸を取り戻す。流れには生で触れる。体は勝手に振動を取り込む。同じ場の息を吸い同じ音を聴く。作り手は作り手のミューズ。

 

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最終セレクトは↓

note.mu

4冊目完成の定点観測空写真集 期間:春分2016.03.20~04.03 の空

 

そういえば4冊目、できました。事後報告です。お知らせです。

 

noteで、着々とまとめています。

空の定点観察、510-524日目までの分

写真集です。

無料です。

 

note.mu

 

空に向かう、とは自分に向かう事でもある、と思います。

 

ファインダーは空に向かっていますが、

空のむこうに意識をはせる、というよりも

空に見られている自分を見つめる、となる。

 

自分を見つめるような感覚とは瞑想にも似ています。

 

空と自分とを同時に見ている。その時、私という意識はボディから解き放たれる。

 

意識は常に瞑想へ向かう。

そんな定点観測は、瞬間の儀式です。

 


長文か短文かというときのABZ理論

「長文が読めることは、もはや才能になってしまった」

と言ったのはちきりん氏ですが、自分がかなりの長文派だということに深く悩みながら本日も書いています。

 

スマホで読むなら特に、長文は読めない、という発言を、あちらこちらで目にするようになりました。

 

スマホで長文は読めない、というのは実感は自分の中にもちゃんとあって、

手もビリビリするし、目も痛いし、身体的に疲れるし、

Twitterみたいなものを流して読むのに向いている、圧倒的情報量をこなすための道具だと感じるし、

 

それが、スマホを使う周辺にある、ということは、体感として私も知っています。

 

ただ、知ってはいるものの、長文体質をなかなか変えられず、短文がいい、と見るたびに凹むわけなんです。わかっていても凹む。

 

 

長文と短文、のように、真っ向から対立するものの、どちらがいいか?という問題が提起されたとき・・・・

 

Aがいいか、(逆の)Bがいいのか

右がいいのか、左がいいのか

黒がいいのか、白がいいのか

 

そういう論争になっている時って、

だいたい答えは「グレーもあるじゃん」っていう1つ上の次元みたいな回答が、円満に収まる回答だと感じています。

 

A⇔Bのとき、別次元の「Z」な回答が飛んでくる。

 

悩んでいる時って、大体 AかBか論にはまっているわけなんですが、

結局、長文か、短文かっていう時、どちらかが回答ということは、ないんですよね。

 

どっちでもいいし、どちらでもない。答えはそこではない。

答えに繋がる道は、一つ上の次元、Zにある。

 

私はこれをABZ理論って思っています。

迷ったらZ。

Z、Z、Z。

Zを探せ。

 

 

短文を目指しつつも、好きな物ほど、書けば書くほど、長く、強烈に、公害レベルに長くなっていくのがどうにも止まらなくて、それを、友人に愚痴って聞いてもらいました。

 

ページがめくれるような仕組みだったら、スマホでも読みやすいっていう、仕組みの問題もあるけどね…、

 

と友人は断った後、

「面白いなら読むよね」とのことでした。

 

「好きな人の文章で、面白いと、気が付いたら全文読んでたりするけどね。」

 

大変、正統派なZが飛んできました。

そりゃそうだ。私もそう思う。

次の一文が読みたくなる。すると、長文でも読んでしまう。

 

短文を書くことより、次の一文を面白く読ませることについて、悩んでみたらどうですかということですよね。

 

はげみます。

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noteやってます。

note.mu