アカシア食堂レモンの記2

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怒りは、その世界から切り離されているからこそ 脱いでいく旅リベンジ【02】 日本一の清流・仁淀川カヌーキャンプ

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教訓  空港には早めでもいいが、 バス停には時間通りでいい の巻

4/28

出発前日の夜。こういう時に限って仕事の変更が入る。結局、夜中の1時過ぎまで仕事になる。だけど朝5:00には目が覚める。旅行だと思うだけで、目が覚める。

 

早く起きたってすることはそんなにない。旅へ出る日の朝は特にそうだ。旅の用意はすべてしてしまっている。着る服も決まっている。いつもの朝より、やることが少ない。意識ではわかっている。意識では、できる限り寝ていたいと思っている。なのに、体は起きる。何かもったいないな、と思う。

 

旅好きで、旅慣れている人は、どこででもいつも心地よく深く眠れる人が多い気がする。あれは良い才能だなあ、と思う。心の底から羨ましい。もし次に生まれ変わるとしたら、どこででもすぐに眠れて、おおらかで、神経の太い人になりたい。

 

日常でも、睡眠にはてこずっているのだから、旅行となればなおさらだ。私は目覚ましを使ったことがほとんどない。思った時間の少し前に目が覚める。これを便利な機能と取るか、睡眠障害と取るかは、性格によって異なるのかもしれない。

眠れない、という時はすでに、体が過緊張になっているということなので、精神的にも、肉体的にも余裕というものが消えている状態だ。

 

余裕がないから、時間が余ったといえ、その時間を何か有意義に使うなどということができない。

何か読むとか、ちょっと掃除するとか、そういう余裕がある時にするようなことができない。というか、思いつけないのね。(今ここからなら、まず深呼吸からはじめて気功のスワイショウとか、ストレッチとか、いろいろできることあるじゃんってつっこめるのに)

しょうがないので、早く家を出る。

外は冷たい雨。

7:30前に二子玉川行の電車に乗る。予定より10分以上も早い。電車はくだりで、空いている。大きな荷物を担いでいるので、ちらりとみられる。今日も働くといった風情の人々だ。視界に異物が入れば、動体視力でとらえてしまうのが人間というものだからそれはしようがない。だけど目線を向けられるというのは、何か嫌なものだ。見る人は誰も見ていないのだが、見ているように目を向ける。

見られると途端に、何か、自分が、してはいけないような、ちぐはぐな格好をしているように思う。荷物が多すぎるように思う。悪いことをしているような気持ちになる。仕事を全部置いて、旅行に行ってしまう不安が、罪悪感に姿を変えて、引火しそうになる。睡眠不足がこういう所に出る。誰も見ていないよ、誰も見ていない、勘違い、と呪文のように唱える。負の感情に注目しないように注意しながら電車に乗る。平然を装って乗っている。

電車を降りると、雨が激しくなっていた。バス停まで急ぐ。

拍子抜けするほどバス停は混んでいなかった。前に並んでいたのは3名だった。世の中は思っているよりGWに浮かれていなかった。

リュックを降ろして並ぶ。バス停は、屋根が小さく、洋服に雨風があたる。二子玉川楽天ができたから綺麗で、朝から人が多い。雨の中急いでいるビジネスマンをぼんやりと見ながら、ただ立って待っていた。
しばらくして、思ったより人が増えないので、不思議に思って、念のためにもう一度、バスのサイトで時刻を確認した。すると、出発時刻欄のみるところを間違えていることに初めて気が付いた。

発車場所が、2か所ある!!到着のトラップにばかり気を取られていて、出発の所に目が行っていなかった。というより、一番上の欄が出発する場所だと思い込んでいた。

そして、この時、バスの発車時刻は、予定より10分も遅いことがわかった。
間違い方が遅い方で助かったのだが、結局、すべての所作を合計したら、45分もバス停に立って待っている、ということが分かった。
雨はどんどん激しくなり、風が強まっていた。体は震えるぐらいに寒くなっていた。こういう時の45分。数字で具体的に示されると、寒さがさらに身に沁みる。
携帯の電池がなくなるのが心配なのと、雨に濡れるのが嫌で、iPhoneをみることもやめて、ただぼんやり立って待つ。修行みたいだと思いながら立つ。

 

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バスには予約をしてもしなくても乗れるのだが、予約のシステムがあるみたいだった。しばらくすると、点呼確認係の女性が突然現れた。予約をした人たちが、名前を呼ばれて乗り降り場所などを確認されはじめる。

ここでわかったが、バスを予約した人たちの半数ぐらいがどこで降りるか、と、どこから乗るか、と間違えている、ということだった。皆、同じ間違いをしていた。私がわかりにくいと思ったポイントは全員が間違えるポイントであるようだった。なんだみんなそうなんじゃん、と思う。理解が遅い自分が不能なのではなく、みんなにとって分かりにくいのだった。

世の中は、分かりにくものでもしょうがなく使われている。システムは絶対だし利用するなら従うしかない。ただ、分かりにくさを責めるつもりはない。分かりやすさの実現とは非常に難しいことだからだ。

世の中のシステムって、分かりやすい方に統合されていくのには時間がかかる。システムとは一つの世界だ。世界が分かりやすくなるというのはむずかしいことなのだ。

なぜなら、「分かる」とは「分ける」ことであるが、世界とは混沌としたひとつの「統合」の形だからだ。分ける(分離)と統合。作り自体が真逆の仕組みになっている。

そして何か一つのものを作る、ということと、分かりやすく作る、ということも同じように相反する行為なのだと思っている。

・・・そう理解はしているが、私は分からないということに嫌悪感を持っている。分からないとムッとする。

この怒りは、その世界から切り離されているからこその怒りだ。怒りとは寂しさの表れだ。(時間があると永遠とこういう思考が続く)

 

でも実は、皆さん、間違えても、結局大丈夫に対応してもらっている。間違えた人は気楽に、そうなんですかーといい、点呼係の女性も、バスの運転手さんも、いたって穏便に変更対応している。

そう、間違えても、大丈夫なんである。人生の他の場面では、それは十分に知っている。間違えてもやり直せる。何とかなる。うん。

しかし、旅の前だけは、どうしても、私はこの気持ちにはなれない。旅になると、とたんに要領が悪い自分に腹が立つ。わかりにくいシステムにも腹が立つ。ああ寒い。

結局、あと30分家にいても十分に間に合ったんだ、と、私は寒さの中でぐるぐると考えている。快晴の暖かな気候の中で30分待つならそんなに後悔なんぞしなかっただろうと思う。でも、どしゃぶりで震える寒さだと、後悔は呪いに代わる。この時ばかりは行動が早すぎてせっかちの自分を呪った。

 

【教訓】 空港には早めでもいいが、 バス停には時間通りでいい

 

【4/28 東京→高知 桂浜 1日でまわるスケジュール】

07:40 家出る
08:00 二子玉川駅着 ←今回はここのお話でした
08:15 羽田(第二ターミナル経由)行 リムジンバス発 →(実際には時間違った)
09:20 羽田(第二ターミナル着
09:40 空港でチェックインと荷物預け完了
10:40 手荷物検査のところを通る
11:05 ANA563便乗り込み
12:30 高知龍馬空港
      とさでん交通 高知駅前観光バス 乗車(発車時刻は飛行機到着と連結している)
      はりまや橋バス停まで、約30分
      高知市内、ガイドブックに載っていた一人で食べられる60年の老舗カフェ「ふぁうすと」でパンケーキ食べる
      高知駅前の高知ホテルにチェックインして荷物預かってもらう
14:48 (高知駅発最終)1日周遊のバスで桂浜へ
17:00 桂浜発
18:00頃 高知駅到着