アカシア食堂レモンの記2

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4-4 圧倒的量とクリエイター1.0ポイント

量をこなすクリエイターや芸術家が大好きだ。
狂人的にやり続ける人のことを尊敬しているというか、自分がそうなりたいからなんだろうと思う。
 
クリムトも、伊藤若冲も、ニシノアキヒロも、アラーキー蜷川実花も、
ミルトン・エリクソンも、ユングも、荒俣宏も、窪之内英策も(敬称略)
挙げたらきりがないほど、みんなそうだ。圧倒的量。
他人から見ると狂人的な量。
手を止めない。ひたすら、ばかみたいに、量を生み出している。
本人だけが知る、ところへ向かって。
 
私は、6歳の頃に本を作る人になりたいと思ってから、
しょっぱい紆余曲折を経て、12回目の転職後にフリーライターになり40代で最初の本を出した。去年のことだ。
 
書く仕事に実際につくまでの、挫折やこじらせ方も年季が入っているので、
書くことからの、逃げ方が、すごくうまい。
書かない理由に、焦点を合わせるのが、すごくうまい。
 
書くのが嫌になるぐらいたくさんある
書かない理由に焦点を会わせ始めると、とたんに、書く手が止まる。
 
でも、書き始めてしばらくすると、そういう諸々を越える地点にたどり着く。
 
周りの声も消え、自分の葛藤の声も消え、感情に振り回されず、深い集中の中で、書き出す世界にとどまることができる、という地点
 
仮にここを1.0地点とする。
 
1.0に自分を押し上げるものが、量だ。
量という行動エネルギーの結果のみが、1.0を超えていけるカギのような気がしている。
 
1.0を超える時間が増えてくると、
1.0以上にとどまる時間が長くなる。
 
すると、1.0に入りやすくなり、
やがては、1.0を超え続けることができるのではないか、と妄想している。
 
転職の2年前、0.1ぐらいまで落ちた。そこから今、0.8まで上がった。
0.8ぐらいの所から書き始めても1.0にいくには、量的、時間的エネルギーがいる。
 
書き始める前に誤解していたことのひとつに、
たまにやってくる1.0の書きたい気分がやってきたら、書き始められると思っているのだが、
書いていくと、1.0に到達できる、ということだ。
 
やる気が出たら書くのではなく、書いたらやる気が出る、という仕組み
 
だから、重い腰を上げて、手を動かして書きはじめるほかに方法はない。
 
0.8で書き始めてから1.0にたどり着くまで、
0.2ポイントの中に詰まった諸々(自分への言い訳)が、最近面倒になっている。
 
この0.2の間にあるものって、過去の傷とか記憶だったりする。
歳の分だけ、0.2の間に密度がある。
 
この0.2の間を軽くしたい。
 
これにも、やっぱり量が必要で、
 
作品を書く手法について、(他にもnote論など)しつこいほど、書いてしまうのは、
0.1だったり、0.8だった時の自分に話しかけているんだとも感じる、自分で自分をケアしている気がする。
書いている、発言のすべてが、自分に向かっている。過去の自分を昇華すべく弔っている。
 
これも大分と飽きてきて、
ただ、もう、1.0以上にいる自分と、手をつなぎなおしても、よい気がしている。
 
とまあ、このように常に0.8地点で逡巡している、
そんな中での、原画のゲットだった。
 
この連載コラムは、noteを続けると出てくる「兆し」を追った物語としている。
 
兆しに該当するものを、私が翻訳していく物語ともいえる。
 
原画は、兆しだった。
圧倒的な作品を作り続けている、アーティスト中のアーティストからのプレゼントだった。
 
空海の書は、顕微鏡で見ると、炭素の分子がすべて一定方向に並んでいる、という。
目には見えないが、人はそれを感知するので、偽物と本物を並べて、本物を選ぶ実験をすると、皆本物を当てるのだそうだ。
 
これを聞いたとき、書いたものから、今もエネルギーが流れ続けているのかもしれない、と思った。
先生にいただいた絵も、空海の書と同様、紙と炭、コピー用紙にシャーペンで描かれている。
 
つまり、この原画からは、常にエネルギーが注がれている、ともいえる。
 
この絵は、アーティストの魂と同調し、いつでも繋がれる入り口。
 
 
一つ動く。すると、ひとつ、現れる。
ひとつずつ、コマが進む。
 
私は6歳の時に、宇宙に問いかけた。
本ってすごい。私も、これ作る人になる。どうしたらいい?
 
私は日本語で問いかけた。
すると、宇宙は答えを返してきた。
ただし、宇宙の使う言語は日本語ではなく、物語、という言語だった。
 
私の人生に展開するストーリー、それが宇宙の答えだ。
答えを全部聞くのに、80年ぐらいかかる(笑)今もまだ聞いてる途中。
 
 
いただいた原画は、「作る」状態にあり続けるための、強力な私のお守りだ。
 
 
そして、今これを読んでいる人のお守りであることも、私は知っている。
だってこれは、note上で、リアルタイムでシェアしながら進行しようという意図を持った時に出現しはじめた物語、なのだ。
 
noteで関わる全員の集合意識に対する宇宙からのサイン、
 
noteで作品を作るすべての人へ、作って、表現し続けて、
原画をくれたエーサク先生も見ている、クリエイターが見ている、1.0の先の視点へ
そのまま行っちゃってください
 
それがnoteの神様の兆しが語るストーリーのような気がしている。
 
 

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note、やってます。

 

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