アカシア食堂 レモンの記

すべては居場所をめぐる旅の話 「私」とは居場所のこと だいたいいるのはあわいのただなか

自分との約束を果たしていたことを唐突に思い出して、ほかのことはもはや全部OKって思った話

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6歳の頃、ちいさな胸の中で
 
「ずっとこうしてたい」
 
そう強く感じた出来事があった
 
 
あの瞬間、って実は、
 
「自分で自分に約束していた」瞬間だったんだと
 
後から分かった
 
 
あの夏の空の下のできごと
 
 
思い出した
 
自分と約束
 
 
これだけは、という約束。
 
 
 
それから30年ほどたって
 
ふと気が付いた
 
そういえば私
 
6歳の自分との約束
 
果たしてた
 
 
 
 
なんだ、あたし
 
 
約束守ったんだ。
 
自分との約束、果たしてたんだわ。
 
それに気が付いた
 
気が付いた、とたん。
 
 
ほかのことは、
 
 
もうどうでもいいじゃん!
 
と思った
 
 
 
自分との約束を果たすって
 
なんだこんなに
 
スッキリすることだったのか
 
果たしてたんだ
 
よくやった
よくやった
 
るるるん
 
気が付いたら
 
とたんに、花が笑って月が笑う心持ち
 
とたんに、やわらかく、力が抜けた
 
もうがんばんなくていいやっていう感じ
 
誰の評価もいらないやって感じ
 
なにしろ、6歳の私が、嬉しそうに笑ってるから。
 
 
街のメロディや
隣の人のため息や
おいっこの笑い声や
 
そういうものが、また聞こえ始めた
ずっと鳴ってたけど
ずっと聞いてなかったかもしれない
 
また世界の音が入り始めた
 
胸の力を抜いて
 
6歳の私と手をつなぎなおす
 
さあ、また歩いていこう

もうすぐ海開きの沖縄、死ぬまでにここだけは行くと思った海は空港沖の浜。その元になった写真の沖縄情報おすすめサイトと本

沖縄関連の仕事をしているせいか、最近の沖縄のパワーったらすごいな、と思う。

都内、どこに行っても、沖縄、の文字を目にする気がする。

 

東京でも、沖縄の展覧会。

2/19、和楽の沖縄の布の力@表参道。

よしもとでも沖縄に注力しているし、

離島で大人気の宮古島観光大使千原ジュニア筆頭の芸人さん達。

 

ここまで沖縄をみかけると、もはや呼ばれている感覚しかない。

ちなみに沖縄で最も注力して調べたのが、御嶽(うたき)だった。

 

調べたというよりも

どの場所を調べても、そこに御嶽があった、というほうが、ただしい。

 

祈りの場がセットになっている沖縄。

写真を見て、おやここは?と感じるところには、必ず、岩がある。

磐座がある。

磐座や鍾乳洞。

それが信仰の対象、祈りの場であったのだと思う。

 

御嶽を含む場所は、写真をみただけで分かる感じがする。

写真からもう、何か出ているの。

雰囲気がにじみ出ている。

 

場所の気配が、多分、他の地域とは圧倒的にちがう。

ココは写真にとっていい場所だったのか?とすら、写真を見ていてなんだが、思うのだ。

 

こんな場所に、毎日住んでいるって、どういう感覚だろう。

そりゃあ、ユタなども生まれるであろうなあ、と感じる。

場所がユタをつくる。人を作る。そんな感じ。

 

沖縄ではもうすぐ海開き。3月末から順次オープン。

それに合わせて、沖縄のビーチ写真をたくさん見た。

 

ビーチ写真を見てたら、私今、東京で何やってんだろう、って

何度も思ってしまった。

ここに行くまで死ねない、とも。

いっそのこと仕事なんか、全部捨ててここに行きたいとも。

 

その中で、言葉を忘れて見入ってしまったビーチがいくつかある。

その筆頭が、下地島、空港沖の海。

沖縄一キレイ、とのこと。

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http://www.tabirai.net/sightseeing/column/0004427.aspx

沖縄の情報を知りたいなら、このサイトがいい。

 

 たびらい 沖縄。

www.tabirai.net

コピーペーストキュレーションサイトの大繁盛の中にあって、ちゃんと取材して、丁寧に作りこんでいる。地元の人の顔が見える。

このサイトの作りすごい好き。いいなあ。

情報も詳しいし、最新情報更新されてるし。

 

海の写真が見たいなら、

沖縄のビーチだけ集めた写真集、これも、おすすめ。

 

沖縄のビーチに魅せられて40年通い続けたという写真家の富山義則氏の写真本たち。

この方の写真集好きで見てたら、「たびらい」の記事も、富山氏が書いていて、おお!ここで繋がった!などと嬉しく思って見たり。

沖縄ビーチ大全

沖縄ビーチ大全

 

 私が読んでいるのは↑。2005年発行のもので古いけど、この中にある空港沖の浜は最高すぎて絶句。魂だけ何度ここに入り込んだことか!

沖縄ビーチ大全 505

沖縄ビーチ大全 505

 

 ↑2015年のもあった。

 

 

ちなみに。

沖縄のすべてのビーチを回った富山さんがおすすめのビーチをまとめている記事

最高!

http://www.tabirai.net/sightseeing/tatsujin/0000300.aspx

 

こういうマニアな人、とか、丁寧なサイト作ってる人とか、とても好き。

思いがあふれている。

最近は特に、作り手の思いがあるものがいいな、って思う、

ひしひしと、思う。

東京のパソコンの前で、「はぁあ、ええなあ」と大阪弁で、ため息をついて、日々。

いっそのこと、沖縄、移住したいな。

2をベースに世の中を見直すといろいろ楽になるという提案。自分とは1人ではなく2人のことじゃないかな?

 

物事の基本数は、1だと思っていた。

無意識で、1が基準だった。

 

「みんな」という名の”ひとつ”とか

ひとつのルールとか

世の中が1に還るとか

絶対的なひとつもの、

変わらない自分とか、

絶対的な神とか

 

ひとつを基準としたものはかなりの違和感としんどさがあって目をそむけたくなるにもかかわらず、

ひとつをめざすからこその、違いを認めないしんどさが、そこにあったにもかかわらず、

ベースはひとつという錯覚を自分の中にずっともっていた

 

でもよく考えたら

自分の内部には、いつも2人いた

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常に、自分A と 自分B が会話をしている。

 

自分Aと自分Bの力加減が変わることで、

楽になったり、死にたくなったりする。

 

考える自分、感じる自分、

ダメだしする自分、言うことを聞く自分

 

分け方はなんでもいいんだけど、2人だ

 

結局、「自分」という、世界を作る基本的な土台が

「2」からできていたということに

ふと思い至った

 

あれ、、、

世の中はひとつ、ではなく、もしかして、ふたつ、が基準?

 

2をベースに世の中を見直してみた

 

すると、といろいろ楽になる、と感じた

 

自分の中で、常々葛藤があるのも

2がベースなら、納得できる

 

自分の中が大きく揺れるのも

2がベースなら、あきらめがつく

 

2は、悪い事ではない

むしろ、自分が2なのには、理由がある

 

2の利点は産むことだ

2の間を往復することでしか「生まれる」という行為は起きない

 

感情でも気でもいいのだけど、

いのちとか魂というのものは、

どうも

動かして、揺らしておきたい性質があるんだと思う

細胞分裂をうながす試験管だって常に揺らされているように

生物にとって2点間の移動は多分必須行為だ

 

揺れてエネルギーを生み出し、

2を同じ方向に揃えると、

物事は動き出す

 

そしてうまれて浮かび上がる3

そういえばDNAも2本螺旋だな

 

この2の仕組みで解説すると

いろんなことがスッキリする気がしている

整理整頓して伝えていきたいと思う

 

 

 

 

 

人は何にお金を払うのか

人は、自分の居場所のためにお金を払う、のだと思う。

 

居場所とは、自分が自分だと思っている自分のことだ。自分が何かを思う時の支点だ。

 

自分といっても、自分とは1人を指していない。

自分とは、自分、と、自身、からなる、二人の存在だ。

それは、内側では、いつも会話をしていることでわかる。

自分を考える時、基本単位は2である。

 

で、1人の自分Aは

「自分がこうありたい理想像」だ。

自己啓発

自分の夢
自分の思い

(自分の範疇には自分が自分に含めている家族や社員も含まれる)

 

こうなれたら素敵という夢の自分像があるとすると

人はそこに向かって動く。理想を刺激されて、理想を夢見ることができる時、人はそこに価値を見出す。お金が発生する。

 

で、もうひとりの自分Bは

「今の自分」だ。

つらい
かなしい
痛い
力がない

疲れた
美味しい

あったかい

嬉しい

動ける

快適

自分、には色んな状態がある。

今の自分が居心地よくなること。満たされる、解消されること。これには価値が発生する。お金が発生する。

自分Aをみたすもの、自分Bを満たすもの、人はそれにお金を払う。

 

この話に落ちはないけれど、

商売をするとかお金を稼ぐということは、人がお金を使うものを提供していくことで、提供していくと決めることだ。

だから、好きなことを仕事にするときには、他人の居場所に貢献するっていうことが繋がるといいのだと思った。

 

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意識のなぞの片鱗にふれる

先日ね、踊りを見たんです。

 

昔から、思いのたけがそのまま発露されている状態を見るのがとても苦手でして、例えばNHKののど自慢で感極まっている人とか、道端でインタビューされて頑張って答えている一般の方とか。

 

その方達には何の悪気もないんですが、全開の思いみたいなのが出ているのを見ると、とにかく恥ずかしくて、恥ずかしくて、いてもたってもいられなくなるんですよね。

 

舞台の演劇やダンスも同じで、ほとんどの演目は、特に、見はじめの時は、目をそらしてしまうものが多いのですよね。

 

それでですね、先日みた踊りというのも、友人の知り合いが踊っているもので、ミュージカルみたいだったので、私は最初はずかしくなってしまって、正面から見られなかったのです。

 

が、そのダンサーの方が、途中から、ボールを持って、踊り出したんですよね。新体操に使うマリですね。

 

そうしたら、とたんに。その人の踊りに目がスーッと釘づけになったんです。

 

その時、踊り手さんの意識が、半分、ずーっとボールに向かっていたのがわかりました。先ほどまでは、観客かな?とにかく、ほかのどこかに向かってましたよ。

 

ボールに向かったとたんに、私は見られるようになったというか、感動すら起こりました。

すごく踊りの上手な体の美しい人で、ボールを持った途端に切なさみたいなのがふわーっと浮いてきて感動しました。

 

衝撃的な変化でした。

これ、この違いは何だろう?って、すごく、思いました。

 

まだ答えは出ませんけれど、表現についての、とても大切なことに、触れそうな気がするんです。

 

 

以前にね、アメリカで、チャネリングという行為をする人に会って話したことがあったんです。

 

彼女は、人の意識について、色々と話してくれました。

---

自分が相手をリーディングしようとするとき、リーディング相手は自分に意識を向ける。

すると、その意識が、リーディングの邪魔をするの。

 

リーディングの邪魔をしないためには、相手に編み物だとか、書き物だとか、そういうことをしてもらうといいのよ。

 

タロットとか、ほかの占術でもいいの。
何でもいいんですけど、私から意識をそらしてもらう必要があるんです。

じゃないと、相手の意識と混じって混乱しちゃうのよ。


---

そういうお話でした。

これもなにか、表現ということと、関わっているような気もするんです。

どうかかわるかは、わからないのですが、ふと思い出しました。

 

書くこととか、表現について、いろんなクライアントさんのいろんな文章を書くし読みるんです。

最近では特に、良い文章って、ないな、って思います。

良いとか悪いとか、正しいとか、間違ってるとか、深いとか、濃いとか、
そんなもん本当はないんじゃないかな、と思うようになりました。

 

だけれど、個人的な「読みやすさと、読みにくさ」が発生する、というのは常に起こっていて、これが何かを知りたいと思っていました。

 

勢いで書くと、感情だけが先走って、主語と述語を飛ばしてしまったり、文章が暑苦しくて、前のめりで恥ずかしくて後悔することもあるんですが、

でも自分だから結局読めてしまうので、他の人が読みやすい、のかどうかはわからない。

 

自分がどう思うのかというのをこえて、自分が書くものが水に近くなるといいなあと思っているんです。

水を飲むみたいに読める文章がいいな、というか。

 

で、その時に、ボールを持つ、みたいなことがあると、文章が読みやすくなるのではないか、と思って、はっとしたんですよね。

 

もしかしたら、ここにひとり名編集者がいれば、ボールになってもらうこともできるのかもしれないんですが、

できればいつも、自分でボールを持っていたい。

 

階層にすると

私→言葉→ボール→書く

だと思っているんです。ワンクッション。

 

まだうまくつかめないですが、ボールを持つ。忘れないうちに書いておこうと思いました。

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ジャストフィットのキーボードを求めて 長時間打ち込み者 ライターのためのキーボード変遷記2

前回から半年。たった半年で、あれだけ念入りに探したキーボードが壊れました。

耐久期間…6ヶ月。怒。前回とはこちら↓

mariacasa.hateblo.jp

 


保証期間内ですが、キーボードの面が浅くて、肩こりが激しいということに気が付いたので、やっぱり東プレにする!と決意して、キーボード試し打ち 都内最大売り場を誇るビックカメラ西口店、ふたたび。

 

すると・・・なんということでしょう!西口店があまりの人気なのか、春の商品入れ替え前なのか、狙っていた東プレの機種が売り切れ!在庫なし!!号泣2

 

しょうがないので、在庫している商品の中から、新しいキーボードを探しました。

 

今回のキーボードの選択ポイントは、前回とは異なります。

 

選択ポイント

1、個人的にキーボードの高さが低いと、肩こりが半端ない!!!ということが判明しました。ので、キーボード面は高いものを。


2、キーボード面を1日に10時間以上たたくので、押す力が軽い方が合っている、ということもわかりました。ので、軸とか関係なくなり、軽いものを。音も多少カシャカシャ出ても良い。


3、キーボードの配列は指が覚えているので、少しでも変更があると使いづらいことがわかりました。ので、キーボード配列はマイクロソフト標準(っていうのかしら?)のものを。


こだわりを捨てた所

1、メーカー名(東プレはまたいつか

2、有線か無線か(有線でもいいことにした


というわけで、選んだ(というか、在庫があった)のはこちら。

 

エレコム MMOゲーミングキーボード/DUXシリーズ/エントリーモデル
 

 

予算より、かなーーーり安かったので助かりました。4000円ぐらいでした。

そして今、ものすごくものすごく気に入っています。

だって、押しやすい、軽い。肩こり半減。

 

キーボード面が高い様子、わかります? 無駄にセピア色にしてみましたが

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ついでに、マウスも重くて大きいのは使いづらかったので、手のひらに収まる、軽くて小さくて安い1000円台の、黒赤の色揃えで。

ワイヤレス、若干反応悪いですが、ストレスはそれほど大きくない範囲。

 

 

個人的な使いやすさって、値段には本当に関係ない。というのが今回の学習ポイントでした。

キーボードは、次壊れても、同じの買いそうなぐらい、気に入ってます。

※いやいや、やはり、東プレ、一度はチャレンジしたいです!

音と空間が見えるという体験のこと

最近音のことをずっと考えている(ということに友達の発言で気が付いた)。

 

とあるところで死にかけて、音が見えるという体験をした。目で見えたというよりも、体で見た。

 

空間は、液体の重さだった。人がいるとたぷたぷとゼリーが波打つように思い空間。人が話すとさらに重くなって息ができなくなった。

 

そこに、空気を通すように、声を放ったら、空間がひらけて、空気が入ってきた。

声によって場の重さは去り、少し空気が軽くなって私は息ができるようになった。

 

なんだ、場を変えたければ音を出せばいいのか。歌えばいいのか。

 

歌詞のある歌は必要ない。

ただ声が生まれる直前にある、「音の響きの部分」で歌うのだ。そのことが場を変える。場を開く。

 

 

そうこうしている間に、思考は、音と音霊、言霊、発音、日本語、などに流れついた。

 

昔、「言葉の生まれる前について」の話を聞いたことがあった。

「あー」と発音したくなる、その直前。その直前の感じを感じてみる事。

どういうときに、あ、というか。

どういうときに、さ、というか。

 

川の流れをよくきく。鳥の声をよくきく。言葉の出る直前の響きをよくきく。

 

日本語の、ひらがな、ひとつひとつには、ことだまが宿るという。

ことだまは、言霊と書く。

霊、とは魂というより、意識と考えるとわかりやすい。

音の響きに働いている「ある意識の範囲」がある。

あ、といったときに示される意味の範囲がある。ひらがな一音ずつにある。

霊がある、ということは、生きものだ、ということだ。

音は生き物。

確かに、そう見えた。

 

それは数年前に聞いたことだった。今になって思えば、それはカタカムナということに関係がある話であった。

 

というわけで、カタカムナを調べていった。

そしたら、ウタヒというものを見つけた。

 

ウタヒ、とは、祝詞みたいな感じのもの、といえばわかりやすいか。ひふみ祝詞のように、独特な配列の言葉を、歌い上げるようにしてよむ。

 

よむ、というより、ウタヒ、だから、うたっているのだよね。

ウタヒをする人は、音を歌っている響きを歌っている、と私は思った。

 

私が見たのも、音の響きだったのだなと思った。

 

カタカムナの祖平十字氏は楢崎氏にカタカムナの意味ではなくウタヒを伝えたという。ウタヒでしか伝わらないものを伝えたのならそれは同じ空間で聴くことでしかわからない。平氏のウタヒをきいてみたいと今思う。

 

 

音を考えると、同音で違う意味の言葉について、ダジャレのように考えてしまう。

 

「湧く」ものをそのまんま出しっぱなしにしておきたい

「枠」があると苦しくなって取り外したくなる

 

ワクということを思いついたら、同時に二つの湧くと枠が連想された。

 

湧くと枠は意味がうまく繋がらないが、何が共通しているから同じ音なのか。

 ゲームのように遊んでみる。

 

 

小学生の頃、合唱部だった。何年か練習して、ある日突然、抜けるような高音がぽーんと出るようになった。頭のつむじから抜けていくような音だった。体の中に響いて面白かった。しかし、音が他の人よりとびぬけすぎて、合唱にならないから、という理由で、先生に声を制された。

 

今はもう、その声は出ないが、かすかにあの響きを覚えている。

 

声量が増えたんじゃなかった。響き方の精度が上がったので、聴く人も振動が大きくなるというような声の出方だった。そこで声が出ると何より自分の脳が気持ちよかった。

 

 

一家で宇宙情報をチャネリングしていて、もはや高度で天才的すぎてその論理の読解に追いつけなくなってしまったやまーださんのブログ

山田貢司のどこに行くのか?バカボン一家

は、私は(意味が分からなくても)大好きなのだが、そのチャネリング情報の中に、音を使って脳の構造を変えていく、というようなものがあった。

 

これができると、脳の使い方が変わるから、物忘れしなくなったりするよ、と山田氏は言っていた。(2週間ぐらい練習してみたけれど、残念ながら頭の悪さはあまり変わらなかった。すっかり忘れてたけどまたやってみよう)

 

ドレミファソラシの音階とあいうえのの音と、倍音や角度なんかの関係性の図解と一覧表がブログのどこかにあった、ようにおもう。

 

だから音楽やる人は覚者が多い、といっていたようにも思う。

 

これで、脳の階層にひびきはじめて、脳が、松果体が、震え始めて、変わっていくのだろうか。

 

振るうと、ゴミは浮き出て、中にあるものは揃っていく。例えば大きな容器の中に入っているつまようじをシャカシャカ振ると、つまようじは揃う。

 

頭をシェイクするような大きな振動というよりも、多分、声ぐらいの微振動ぐらいがいいのかもしれない。

 

(書いて思ったが、揃うにはある程度の時間をかけてふるうのが必要だから、やっぱりもうちょっとふるいが必要だ)

 

そんなことを考えていたら、友人が、ボイスヒーリングをはじめた、と話し始めた。(これで冒頭の話に繋がった)

 

いるだけで周囲が癒えていくような雰囲気を持つこの友人が、ボイスヒーリングとは。さぞかし良い響きであろう、と思われた。

 

これは是非受けたいと思った。ヒーリングを受けたいって思ったのはとても久しぶりのことだ。

 

きっと音を見たからに違いなかった。

音は、あの重い液体空間の中で「希望」として映った。

暗闇の一筋の光みたいだった。

 

 

大きな声でうなっていても怪しまれないようなところに住んで、毎日、あー、とか、うーとか言っていたい、というのが最近の願いである。