アカシア食堂 レモンの記

すべては居場所をめぐる旅の話 「私」とは居場所のこと だいたいいるのはあわいのただなか

必要な物に、じわじわと出会っていく(ちゃんと出会っていた)/ADELE Hello/ ONE OK ROCK Hello

しばらく前、渋谷の街がこの写真一色だった時期があった。

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彼女を知らなかった私は、顔写真が一斉にこちらを向いているという異様さを、嫌だなと感じた。

 

世界ですさまじく売れている力が渋谷にポスターを貼らせているらしいのはわかったのだが、そのことが、この写真テロにつながるのなら、彼女をむしろ知りたくないと思わせた。

 

日常、いたるところに貼ってある選挙ポスターは写真を使った暴力だと思っている。人の顔は嫌でも本能的に見るようなつくりになっているのだから、好みを選択する前に目が捉えてしまい、見ざるをえない。その度に、作られた見知らぬ人の表情を見なければいけないなんて、その度に疲弊させられている。

 

同じ理由で、センター街をあるけばこの写真がこちらを向いており、だから私はシャットアウトしていた。

最近、好きな友人が、Facebookである動画をシェアしていた。

アメリカのTV番組で、人気俳優で司会者が運転手になり、人気歌手を車内に呼んで、一緒に歌うっていう番組。「カラオケ」っていうタイトルが一部に見える。

 

来るゲストがかなりビッグ(スティービーワンダーとか、知ってる人がほとんど)。歌手の皆さんが、カーステに合わせて絶賛本気で歌っていて、運転手の人のテンションと、気が、素晴らしくよくて、英語は1文字もわからないのだが、このテンションの高さと歌を聴いているだけでこちらも楽しくなってしまった。

 

とてもいい気分転換になるので、この番組のほとんどを見てしまった。

で、一番最初に見たのがADELEのやつだった。


Adele Carpool Karaoke

 

すごい声量。飾らない性格。楽しそうな車内。そして耳に残る、このメロディ。

それで、YOUTUBEで探して、Helloを聞きはじめた。

 


Adele - Hello

 

再生回数、現在、15億回。

飾らなくストレートな低い少しハスキーな声。腹の底から出ているような声。シンプルなピアノの音。力強い。響く。何を歌ってるのかわかんないのに、なにか、何回もリピートしてしまう。こうしている間に、渋谷で拒否していたにもかかわらず、どんどん魅かれて行った。

 

 ◆

 

聞き始めて2週間後、ぐらいのこと。

友人が、さらにいい動画を紹介していた。日本人(だが英語ネイティブだと思う)ONE OK ROCKのTAKAによるカバー。

 

見たことはない若い方だったが、圧倒的な唄い方で、一発聞いてすぐに、うわっと思た。なんてなんて良い声だ。歌声と歌詞に思いが乗って来るようだ。どこに向かって歌ったら、こんな風に届けられるんだろう。

 


Adele - Hello (Cover by Taka from ONE OK ROCK)

 ◆

 YOUTUBEのいいところは、関連動画がたくさんPICKUPされて紹介される点である、と思う。

 

翌日ONE OK ROCKの動画をいくつか続けてみた。すると、TAKAさんは元ジャニーズ、森進一・昌子夫婦の長男という情報が出て来た。これを見て、ああ、歌うために生まれてきているな、と思う。

 

すごく昔、森昌子さんの歌のうまさは圧倒的と思ったことがあり、やはりYOUTUBEで過去から現在までの動画を片っ端からみたことがあった。

 

その中にモノマネもあるんだけど、あまりの完璧なそっくりさにめちゃめちゃ驚いた。どんな耳と喉なんだ!しかもこれまた楽しそうにモノマネしている。歌が好きそうな感じがいいなと思っていた。さらに父のあのハスキーボイス。ハスキーな声は永遠の憧れというぐらい魅惑の音だ。倍音が心地よさを孕むならハスキーボイスはたくさんの倍音を含む気持ちよさをあらかじめ持っているのかもしれない。

 

TAKAさんとは、両親の圧倒的遺伝才能に加えて、歌を歌うことを多分に推奨されて育っているんじゃないかなと思った。歌を歌う事、芸能界に入ることを小さい時から許容されているってことだ。

 

私は子供のやりたい事や好きな事には断固として反対し続けるという古典的な家にそだったので、小さい頃から子供が好きなことを親が認め、やりたければやらせる、さらに推奨して、応援する、という環境に育った人にとても興味がある。

人の才能は、肯定されるとどこまで伸びるのだろうな、と興味を持ってみてしまう。

 

まっすぐに唄うことを肯定されて育つ結果が、この歌声だとしたら素晴らしいことだと思う。

さらに、この方の場合は、二世だっていう圧力につぶされずにこれだけまっすぐ歌える、というのが本当にすごいことだと思った。

 

さて、渋谷でのADELEとの拒否から始まった出会いを通して、何を言いたかったのか、というと、

 

・出会う物には出会う

・嫌な時は素直に拒否していい

・好きな物の延長に好きな物が繋がる

ということだ。

 

ADELEの広告戦略こそ侵襲性が激しかったが、彼女の歌声そのものは力強く自立している。(デビュー前からネットで話題になった声だという。圧倒的な声と存在感。これで20代って。。。)

 

この歌声から伝わってくる印象。ここからは私の想像になるのだけれども、周囲がどう広告しようが、自分がどう映ろうが、自立して自分が歌える歌を歌っているだけよ、という感じがする。それが彼女の圧倒的な存在感の意味だ。

 

唄い方に媚びがない。自分が歌える歌を、自分の声のキーに合わせて、フルボリュームで歌う。歌詞は、無理に希望がある明るい内容でもない。難しいことも言ってない。非常にシンプルな内容。

 

自分の声で歌う。その行為に微塵の躊躇もブレも感じない。迷いも否定も感じない。そう、否定観がまったくない。アーティストによくみられるある種の不安定さみたいなものがない。

 

存在感があるということは、その存在のど真ん中をいく、ということ。彼女の存在感の比類ない太さというのは、そこから来ているんじゃないか。

 

何回も聞いて、じわじわと、浸みこんでくるように自分の一部になるように、今もADELEの歌声と、毎日会っている最中だ。

 

この声、私にとっては(そして世界中で15億回聞いた人々にとっては)今、必要な響きだった。だからこれだけ繰り返して聞く。同じ波長になりたいというかのように。

 

自分の存在のど真ん中に、どっしりかまえること。

あたしは、あたしよ。今歌えることを全力で歌うわ。

 

必要な物や、出会うことになっているものは、たとえ一度顔をそむけても、それでもちゃんと会うことになるのだ、と思う。

 

だから安心して、嫌なものは嫌と言ったっていい。必要だったら、どうせまた会う。自分が嫌だと思う方を大切にしていい。機会は損失されない。

 

必要な物に必要な時に出会うように、人生には常に伏線が張られている、と考えると人生は面白い。意味は後から作るものだが、人生なんて答え合わせでしかない。

 

もうそれにはすでに、どこかで出会っているし、必要な時に入って来る。