アカシア食堂レモンの記2

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旅に出て感じるのは、自分の日常の輪郭  脱いでいく旅リベンジ【05】 日本一の清流・仁淀川カヌーキャンプ

いつも小さく未来を予測してはその小さな枠を壊されていく、その枠を壊される旅の醍醐味


東京にやってきた当初、東京の駅の広さに驚いた。

一つの駅名なのに、駅構内が広い。乗り換えにやたら歩く。東京駅、大手町、飯田橋、永田町。同じ駅名でくくるのには難があるような乗り換えの距離の遠さ。
渋谷や新宿に至っては、ダンジョンという迷宮レベルになる。

 

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羽田空港の中でも同じ気持ちになる。羽田空港、と名前が付いているがその範囲は恐ろしく広い。

 

ひとつの行動と次の行動、それを繋ぐ場所までが、いちいち遠い。荷物を預けるにしても、食事をするにしても。次の行動に移行するまでに距離がある。

 

広さと距離に戸惑う、ということは、私日常が逆に狭い、ということだ。

 

私の今、「日常」は、近い、便利、コンパクト、で構成されている。部屋も小さくて狭い。行動範囲も狭い。

 

だから羽田空港のような広くて巨大な所に来ると、体が戸惑う。自分の予測が、あてにならなくなる。予測が毎回裏切られる。

 

旅に出て感じるのは、自分の日常の輪郭だ。私の行動、私の思考、その範囲が際立つようにわかる。

 

自分の普段の狭さ、ゆえに、羽田空港の広さにいちいち「予測外」を味あわされる。膝かっくんを毎回されているような感覚になる。

 

自分の一部は、この膝かっくんに頭にくる。そして別の一部は、この膝かっくんを、楽しんでいる。

 

そして今回も予測に反して、手荷物検査ゲートから、搭乗口までがものすごく遠かったのだ。この遠さが一番身に沁みて遠かった。予測の中にまったくなかったからだ。

 

小走りになる。間に合わないわけはないのだけれど、思ったより遠いというだけで焦る。ゴールが見えないととたんに焦る。担々麺を食べた時の安堵感はすっかりなくなる。もうチェックインも済んだので、焦ったり不安になったりすることはない、とどこかで思っていたのにまた焦っている自分にも腹が立っている。

 

大股でガシガシ歩いて搭乗口へ着いた。まだ機内への誘導は始まっていない様子だった。ああ間に合った、と思って椅子に腰かける。だが、腰かけて間もなく、誘導が始まった。本当にギリギリだった。

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あんなに前倒しで空港についたつもりだったのだが、このようなギリギリ加減になるのが不思議だ。時間について予測を立てても、すごく早いかギリギリになるか、という感じで、満足しきったことはないように思う。

 

時間の途中で気を抜くと時間に追い越される。いまだに時間と仲が良い気がしない。

 

乗り込んだ高知行のジャンボ機は、思っていたよりもずっと大きい型のジャンボ機だった。ほぼ満員に見えた。CAがたくさんいる。私は初めて降り立つのだが、高知とは人気の土地なのだと知る。

 

強い雨の中、飛行機はスムーズに離陸した。

 

座席は窓際だった。窓際に乗れたのは本当に久しぶりだった。

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つづく