アカシア食堂レモンの記2

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旅は人に会いに行くもの 脱いでいく旅リベンジ【序章2】 日本一の清流・仁淀川カヌーキャンプ 

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旅ができるようになったきかっけとは・・・旅とは人に会いに行くこと

 
旅は、その土地に出向くというより、人に会いに行くみたいなところがある。旅の面白さは、旅先会った人の面白さのような気がする。
旅先で人に出会うようになって、旅が面白いと思えるようになった。つい2、3年前の話だ。
 

 

 
そもそも、旅という行為自体は苦手だ。嫌いでもある。
飛行機やホテルのチケットを取るのがまず難関だ。チケット取りなどはトラウマレベルで緊張する。更に何が安くて、何を乗り継ぐのがお得かなどを考えると頭が真っ白になる。
 
空港へのアクセスの前に、羽田とか成田という単語自体が旅慣れない人にとってはちんぷんかんぷんなのに、皆当然のように羽田や成田っていう単語に隠された違いを知りながら口にしているのを見るにつけ、すでに疎外感を感じていく。
 
それを超えて空港に無事にたどり着いたとして、続いては空港内に絶対的な法則としてある「乗るまでの仕組みの煩雑さや暗黙の了解事項」をすべてこなさなくてはならない。何度行ってもこれがよくわからなくて大幅に時間間隔がずれる。こういう時、アナウンスは確実に聞き逃している。
 
空港の関門が終わって現地に着いたところで、iphoneも参考にできない方向音痴さが待っている。ガイドブックをくるくると廻しながら、道を間違えたり、電車に乗り間違えたり、土地によって違うバスの仕組みにビクビクしたりする。
 
一日中歩き回っても、枕が変わると眠れないから、初日は確実に徹夜になる。一人でも他人がいても同じことで、部屋に他人がいるとさらに眠れない。ホテルや民宿はたまに何かの気配がすごすぎて眠れないとか部屋鳴りがやまないなどの、すごい物件にあたることがある。情緒あるところは好きだが古いと当たることが多いので新しいホテルに泊まる方が気が楽だったりする。

以上の長い理由が簡単に書けるほど、旅は苦手だ。だからめったに旅行にはいかない。そもそも毎日の生活が十分に刺激的だと思っている。転職も引っ越しも多いから、人生そのものが旅だと思っている。

それでもなお旅に出るのは、普段会えない大好きな人に会いに行くため。自然の中に入りに行くため。自然に入って放電してくるため。
 
そして結局、旅に出ると自分のことがとてもよく見える。今の自分を鏡に映すように、自分が見えるのは旅だけかもしれない。
 

旅に開眼した圧倒的な屋久島、土地と人の力

 
旅が好きになったのは屋久島に行ったのがきっかけだった。
都会には生息していないタイプの、大地と地球と共に生きているような人がいた。彼ら、彼女らはガイドと呼ばれていた。こういう人たちには初めて会ったみーんな、大きくて、ゆるくて、でも押さえるポイントは押さえていて、何より自由だった。こういう人が居る。こういう人生を生きていいのか。一緒にいるだけで細胞が自由になる。呼吸ができる。体から解放された。体を入り口にして、思考や精神が解放された。

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それから屋久島の自然は濃かった。土地にはその土地の力、その土地の歌が存在すると言ったのは古代の人々だ。私はそれを感じるのが好きだ。勝手に感じては自分で満足している。屋久島は、東京都は圧倒的に違うから、わかりやすい。(勝手に誤解しやすい)。
 
生息するものすべての輪郭から違う。密度が濃い。酸素が濃い。輪郭が濃い。もののけが生まれただけある。屋久島には船で入ったが、舟の上から見る屋久島の姿が、もう他の島と存在感がまったく違った。色が違った。
そこに人が入っていいのかちょっと気が引けるほどの存在感だった。神々しいというのか、厳しいというか。ただ、緊張しながら実際に入った屋久島は厳しいとか神が荒れるように天候が荒れたなんてことはなく、その生命力は確かに私を元気にした。
 

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そしてそこで、好きな人の元には好きな人たちが集まる法則を知った。「この人は本当に好きだ!」と思ったガイドの元に集まる旅人達との居心地がとてもいい、ということがわかった。
 
旅人同志の距離感は風に似ている。さらりと心地よい。今でも仲が良い。その友達が繋がっていく。こうして旅に出ると好きな人たちが増えていく。
 

 



以上の事があって、目的地にたどり着くまでのわずらわしさをはるかに上回るものが、旅に、そして旅の後の生活のすべてに含まれて行くのを私は40歳直前でようやく知って、遅まきながら旅に出始めた。