兆し5-2 正しいよりも楽しい方へ 立川談志さんに出会うの巻
ところで、最近「楽しい事」がいいなあという雰囲気を感じていましてね。
真面目で熱く固く重い話、より、明るく軽く楽しい雰囲気がいい。放っておくと自分が熱く固く重い方へ行くものですから余計にそう感じたのかもしれません。春先で疲れが出ていたのかもしれません。
楽しい事、楽しい事。歩き続ける×楽しい事、なんかないかね。
と思い放って半日後。そういえば最近、私の周りで、よく「談志」という言葉を見かけることに気が付きました。その数、数回。
で、鈍い私にもわかりました、ああ、そうか、談志さんを聞けばいいのだ。
・・・解説します。この随筆は「兆し」を読み取って連載にしていく体裁です。
兆しの見つけ方は、
1、自分の中で沸くように出たつぶやきを問いとして扱い
2、その後、連続して見たり、偶然的に重なるという形で飛び込んできたものを兆し=サインと見立てて読解していくという手法です。答えのようなものが現れて初めて、問いを立てたことや兆しが発生しつつあることに気が付いていきます。この、鈍い私にもわかりました・・・って独り言は、問と答えの関係に気が付いた、という意味の独り言です。解説終わり
さっそく検索したところ、youtubeにたくさんの落語の動画がありました。すばらしい時代ですね。どこから聞いたらいいのかわからないので、とりあえず検索で出てきた順、目についた順に聞き始めました。
その昔、寄席には、4~5回ほど誘われて行ったことがありました。確かに楽しかったんですが、はまるほど楽しいとか、自分から寄席に行くってことはなかったんです。
なのに、今回youtubeで、歩きながら耳だけで聞いたら、なんとまあ面白い。
そんなこんなで数日続けて聞きこんでおりましたところ、立川談志の紺屋高尾、という古典落語に当たりました。
立川談志 Danshi Tatekawa 紺屋高尾 落語 Rakugo
つづく
どこからでも単発で読めますが、続き物にもなっています↓