アカシア食堂レモンの記2

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色に救われて物語が生まれる

前述の「色に救われる 色に救われる|mari & tomoco|note」で、一気に細胞が色を吸い込んで春の胎動が始まったと書いた。「色!」と細胞が声を上げたために、情報がぐわっと集まった。その情報を列挙した。

今日、その中の情報のひとつにあげた展覧会に足を運んだ。伊勢丹新宿本店3Fで行われている「FDJ Exhibition デザイナー藤田二郎によるエキシビジョン」。(2/9まで)様子は写真のとおり。この色の透明感と配色にたまらなく惹かれた。

作品が飾られていた。いくつかのテイストの絵があった。嬉しくてじっくりと見たかったが、ここはハイファッションの聖地。じっくり見るには場のテンションが高すぎる。(絵に向かっていない)人の目が多すぎる。

私のじっくりはかなり長い。好きな絵は特に数十分は居たい。ここが美術館ならば、遠目から、近場から、ぼんやりとたたずんで見る。
その絵と、絵の前にいた書き手と、両方に同調するまで見たい。

シュタイナーの翻訳者である高橋厳さんが、絵の見方について、絵の前にぼんやりと数時間だったか1時間以上か、焦点を合わせるでもなくぼんやりとたたずむ、というような話を耳にしたことがある。(うろ覚えですいません)
これを耳にしたときには嬉しくて、さらにたたずむ時間を安心して伸ばした。

それはさておき伊勢丹に場を戻す。目の前にこの色が並ぶ嬉しさに焦点を切り替えて、心持ちゆっくりと見た。1枚ずつ、身体のテンションを感じながら見ていった。だから自分が今好きなテイスト、色使いがわかった。

その色とテイストの絵を、もっと見たいと思った。が、スペース的に原画がそれほど来ておらず、代わりに小さなCDジャケットやパンフレットで見るしかなかった。ああm色とりどりの原画がもっと見たい。圧倒的な色に囲まれたい。透明な綺麗な色に。沢山の色に。

体の中に欲求が生まれる、というのは快楽だ。欲は動く原動力だ。まっすぐに葛藤なく、気持ちが身体を駆け抜ける様は気持ちがいい。その対象が何であってもそれはすさまじい快楽である。

快楽が体に生まれると、なぜだかその快楽を避けて止める癖がある。これは自分に言い聞かせるように書くのだけれど、自分の中の欲を捕まえたら、躊躇せず、解き放ちたい。躊躇をやめる。抑えて止めることを長くしてきた私にとっての大切な訓練だ。

色に囲まれたい、色を見たい、そして、自分も色を使いたい。この色に対する欲求をアシストしようではないか。というわけで、展覧会を見たその足で、1ブロック先にある世界堂という大文具店に向かった。文房具も画材も、ここに行けば何でも揃う大好きな店だ。

何となくあの絵の印象から、カラーインクが近いのかもなあと思って、それらしきものを買ってみる。一番反応した色を3本、とりあえず買った。本当にカラーインクを使っているのかわからない。使い方も知らない。それでも買った。

バーゲンで洋服を買いたい、という衝動は、色への欲求の目覚めに繋がり、その後やってきた情報に従って動いたら、カラーインクを買う、という自分にとっては想像とは違う結果になってきている。

洋服がカラーインクに化けた。さてもこの先どうなるのか。物語は続いていく。
noteの(というかSNSの)いいところの一つはリアルタイムで進行できるところだ、と今日また一つ気が付いた。