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アカシア食堂 レモンの記

すべては居場所をめぐる旅の話 「私」とは居場所のこと だいたいいるのはあわいのただなか

【本】人の心の表裏を見尽くしたAV監督の到達点が核心を突きすぎている なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか /二村ヒトシ

タイトル:なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか 著者:二村ヒトシ

 

これを書いたのは2年ぐらい前だ。

読んだ当時衝撃を受けた。

内容はまず頭に入った。

 


そして、この内容を忘れた頃に突然、

まったく別の出来事からこの内容そのものが体感として腑に落ちた。

 


「自分」という構造が外側から見えて

私が見えた瞬間だった。

衝撃だったし、理解が一気に押し寄せて半年ぐらい興奮していた。

 


書いてから1年後のことだ。

 


当時は自分で構造を発見した気持ちになっていたのだが

この本を読んだことをベースになっていたことを、

さらにその半年後に思い出した。

なんだ、教えてもらってたことだったと恥ずかしくなった。

 


こうやって読める本が私にとっての名著だ。

 


頭の中で本は常に持ち歩かれ、

いつか体に落とし込まれ、私の一部となっていく。

 


視覚より、聴覚より、何より

体感が最も優位な感覚なので

 


本が体感として落とし込まれる、というのは

とんでもなく興奮することだ。

興奮する、とはセクシーなことだ。

名著とは、セクシーな本のことだな。

 


ああ、ようやくわかった、と思う。

理解とは快感だ。

快感もやっぱりセクシーだ。

 


やっぱり名著ってセクシーな本のことだ。

 


2年前の感想文***

 


本文抜粋――――――――――――――――

「自分を好き」には2種類あります。

 「恋する女は美しい」というフレーズは、
すべての女性にあてはまるわけではありません。

たしかに女性は恋をすると、
 最初は一瞬とても綺麗になります。

 「好きな人がいる」というイキイキした気分が、
 外見にも反映されるのでしょう。

でも「自分で自分を受け入れていない女性」が
恋してしまうのは、彼女を愛さない男性です。

やがて彼女は嫉妬や苦しみで、疲れていきます。

 自分を受け入れていない女性は、
むしろ「恋をすることでダメになっていく」のです。

そこで女性誌やウェブサイトの恋愛特集では
「まず自分を好きならないと、幸せな恋は、できません!」
というフレーズも、くり返し語られます。

それを読んだあなたは、一生懸命「自分を好きになろう!」
と、したかもしれません。

でも、どこかに息苦しさを覚えませんでしたか?

じつは「自分を好き」という言葉には正反対の2つの意味があります。

その「ちがい」を女性誌では説明してくれませんが、

それをきちんとわからないま「自分を好きになろう」としていると、
どんどん苦しくなる悪循環に陥ってしまうのです。

 2種類の「自分を好き」とは、「ナルシズム」と「自己受容」です。

 誰でも「もっと美しくなりたい」
 「より良い自分に、なりたい」という向上心を持っています。

その「向上心のみなもと」もナルシズムです。

 「もっともっと」と、今の自分に足りないものを
求めつづけさせるナルシズムは、いってみれば「自分への恋」なのです。

ナルシズムで「がんばりすぎる」と、疲れます。

P36より抜粋(勝手に改行しました)---------

 核心を突かれると衝撃が走る、その感覚に久々に出会う。

 読んだのは結構昔のことなのだが、その時の感覚をよく覚えているほど。

 

 特にこのページを読んだとき、衝撃が走った。
 本当に息をのんだし、あって電気が走ったように思う。

 

 読んでいる自分の立ち位置が、客観的に分かったから。
 自分の枠が外側から見えるような視点の転換。

 

 自分が好きなはずなのに苦しいことが多いという矛盾、
 それを自分が多少なりとも抱えているように思っていた。


 当時私は以下の過程を経て
→ どうも私は自分のことが好きではないかもと思い始める
→ 好きになることに取り組む
→ 好きになった!
と思ったところにいて、

 心理学を始めいろんな本を読んだり、
そういうことを教える講師を友人に持っていたし、
またいろいろな講義にも顔を出してたし、
 好きになる方法をたくさんやったし知っていた。

なんかもう無敵かも、マニュアル的には完璧かも、ぐらいの勢いだった
 なはずなのに、いきぐるしい、感じが常にあった。
 自分が好きなはずなのに、自信のなさや、所在なさに崩れ落ちそうになるような感覚になることがあった。
 自分の中に抱えるこの矛盾を、なんでだろう、って、ずっと思ってた。

それを知りたくて、自分を好きになるってことを書いた本をたくさん読んだ。

なのに、そういうの読むほど、
ますます、苦しさと違和感が増す。

 感覚が鈍っていく。

その感覚は、言語化できないまま、
でも、確かに
奥の方に、ずっと持っていた。

だからこの本を読んだとき、衝撃だった。
 自分が置き去りにした片鱗に、確かに触れた気がしたから。
 自分を好きって一種類のベクトルから成立していることではない、というのだ。

 自分を好き には、
ベクトルが真逆な2種類の好きがある
好きって、一言で言っても、実は2つの事柄を指している
 そうかそういうことだったかって、すごくわかった。腑に落ちた。
 苦しさの元、それはナルシズム的に自分を好きになろうとしていたこと、
つまりはずっと自分に片思いをしていたのだなと。

遠くに掲げるようにして見上げている「すごい自分」だけが、自分と思う。
それは絶対に叶わない片思いだ。自分で自分に憧れているのだから。
 憧れるほど進行していく自己乖離。
すると、現実も乖離していく。

 心理学者より、この説明すごい。わかりやすい。
わかるって、快感。

この後さらに、この感じで、人の心が紐解かれます。
さすがAV監督。
 裸の奥までまるっと裸に、素直にされます。

 上野千鶴子信田さよ子白河桃子國分功一郎、絶賛。
 (スゲー濃いメンバーですが、

でもこの人選ナイスすぎると思いました。こ

の編集者さんがすごいのだと思いました)

そして表紙絵も、もちろんいかしている。

P.S

本だけを読み、自分の回答ではなく、
 他人の言葉の中に「こたえ」を探していくという行動が
 そもそも苦しさの根源だと気が付いたのはずっと後の話。

 自分がだめなので本を読んで本を仰ごう、というところを拠点に本を読むと
自分からどんどんと離れ、
 知識だけ上乗せしていき、
 自分の心や本音を置きざりにしてしまう。

 自分を持った読書、
 自分と他人を比べないところで読む、対等な読書、
そうやって本の世界の中で遊べるとき、読書はどこまでも深く、遠くに旅できる。

 私はただやみくもに、

ほかの人の回答が正しい、すごい、とどこかで思い込み、

その心持で本を月に100冊以上読んでいた、

このような事態に陥ったのかもなと

(じゃないとそもそも本を100冊も読めないのだけれど)。

 


でもとことんまでやってみてよかった。

ちなみに今は3~4冊/月ぐらい。そんなにも読まないこともある。

本は今でも、本によって生きているというぐらい好きだけれど、本を読まない自分でもまったく平気になった。

 二村ヒトシ
1964年東京生まれ。慶応大学中退。
アダルトビデオ監督。
 著書に「すべてはモテるためである」
 「淑女のはらわた」など。
 監督作品に「美しい痴女の接吻とセックス」「ふたなりレズビアン」「マブタチとレズれ!」「女装美少年」他多数。
ソフト・オン・デマンド若手監督エロ教育顧問も務める。