バスの旅が思いのほか良かった 脱いでいく旅リベンジ【10】 日本一の清流・仁淀川カヌーキャンプ
さて、本日のメインイベント、桂浜へ。
日本海育ちの私にとって、太平洋、黒潮を望む海は一度見てみたいポイントだった。
四国には社会の教科書で習った、有名な岬の名前が並んでいたし、昔、海洋深層水や水の市場開発調査の仕事をしたことがあり、この辺りの地図は何度か眺めていた。それで一度は行きたいって気持ちが募っていた。
車があれば是非、時間を気にせず行きたいところだったが、私は運転できないし、一人旅である。
でも、高知で行きたいところは海しか思い浮かばない。というわけで調べてみると、バスを利用して、高知市内から最も近い「桂浜」には行けるということがわかった。
高知市には、市内の観光地を周遊する「MY遊バス」というのがあって
https://www.attaka.or.jp/kanko/kotsu_mybus.php
時刻表を見ると、桂浜発17:00が最終便であった。
つまり、桂浜を17時に出発する、というのは動かせない事実。
だからといって、高知駅を最終便(15:40発)で出発すると、桂浜の滞在時間は28分となってしまう。
28分・・・。
その1本前、14:40高知駅発だと、滞在時間1:28分。
というわけで、乗るとしたら、8便 14:40 しかない。
乗り遅れられない。
それがまた、修行のような正確な時間割を、その通りにこなしたタイムスケジュール旅行の情熱(恐怖?)の源でもあった。
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高知に魅かれる理由は行けばわかる 脱いでいく旅リベンジ【09】 日本一の清流・仁淀川カヌーキャンプ
市内徒歩散策からスタートしてしまう
甘い物欲とパンケーキ欲がすっかり満たされて、体はご機嫌に落ち着いて、さてスケジュールを遂行すべく、次の行動は「ホテルへたどりついて時間前にチェックインをする」。
目指すホテルは、高知市駅から徒歩一分の「高知ホテル」だ。
高知ホテルは、さすがに高知という県名を冠に頂いているだけあって、高知駅から最も近い高知市駅のど真ん前、目の前に建っているホテルである。
高知市駅にたどり着くことができれば、自動的にホテルにもたどり着ける、というような立地。方向音痴にはこれ以上ない最適な立地条件である。
パンケーキを食べた「カフェふぁうすと」は、はりまや橋から徒歩8分ぐらい。
そして、目指すホテルは高知駅徒歩1分。
つまり、はりまや橋から高知駅までたどりつければ、私はホテルに着くことができる。
地図を見てほしい。
はりまや橋から高知駅までは、迷うことができないほど太いメインの通りを、まっすぐに直進すればいい。
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必要な物に、じわじわと出会っていく(ちゃんと出会っていた)/ADELE Hello/ ONE OK ROCK Hello
しばらく前、渋谷の街がこの写真一色だった時期があった。
彼女を知らなかった私は、顔写真が一斉にこちらを向いているという異様さを、嫌だなと感じた。
世界ですさまじく売れている力が渋谷にポスターを貼らせているらしいのはわかったのだが、そのことが、この写真テロにつながるのなら、彼女をむしろ知りたくないと思わせた。
日常、いたるところに貼ってある選挙ポスターは写真を使った暴力だと思っている。人の顔は嫌でも本能的に見るようなつくりになっているのだから、好みを選択する前に目が捉えてしまい、見ざるをえない。その度に、作られた見知らぬ人の表情を見なければいけないなんて、その度に疲弊させられている。
同じ理由で、センター街をあるけばこの写真がこちらを向いており、だから私はシャットアウトしていた。
続きを読む落ちている時、楽になった言葉
Powerd byGATAG
落ちていた自分と、もしかして同じ所に居て苦しいと思っている人へ、バトンのつもりで紹介したい。
少し前に私自身に起こっていたこと。
自分が落ちているな、と思っていた。
そして、その落ちている状態を、自分で思っているよりもずっと、実は、許していなくて、さらに焦っていた。
そのこと自体が、分からなくなっていた。自分では見えなかった。
で、そこから、この一言を読んで、本当にすっと、ベクトルが変わった。
この文章を目にしたのは本当にたまたまだった。
日本で第一人者のヨーガ行者、成瀬先生の講演を2月に聞いていた。
その圧倒的な存在の素敵さに、こんな人が居るんだ、すごいな、と思っていた。
それを覚えていたところに、ふと見かけた記事だったので、思わずクリックした。
そしたら、こう書いてあった。
人生では誰でも大失敗をしたり、人の悪意によって理不尽な目に遭わされたりすることがあるでしょう。
そういうとき、多くの人は、元の状態に上がっていこうと必死でもがきますが、ヨーガでは「落ち込んだここから這い上がるのではなく、もうちょっと落ちてみよう」と考えます。
「また上がるぞ」と頑張ると、力が入り、視野が狭くなります。そこで焦って、悪い選択肢に飛びついてしまう。
逆に「もう少し落ちてもいい」と決めれば、リラックスでき、視野が広がって、状況をしっかり把握できるようになる。そうやって流れに身を任せていると、思いもよらなかった道が開けてくるものです。
もうちょっと、落ちてみよう。
この一言で、全身の力のベクトルが、180度変わった。
そうだ、落ちてみよう。
力が、抜けた。
落ちてみよう。
私、もうちょっと、落ちてもいい。
まだ、落ちていい。
そうなった時、自分が、このままでは溺れそうだから、と必死でもがいていたことを知った。
「溺れた時、力をいれてもがくと、おぼれ死ぬ。でも力を抜くと、浮かぶ。だから溺れた時は全身の力を抜いて下さい」と海に入る時に教わった言葉が浮かぶ。
「そしてライフジャケットを着てるんだってことも思い出してね、簡単には死にませんから」
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人の体もエネルギーも経済も、おおよそ命あるように動くものは波形で動く。それが流れを生んでいる。
私は波がまだ最下部に到達する前に、落ちていく恐怖から、無意識にAへ進もうとしていた。でも、波はBへ行きたがっていた。もうちょっと落ちてみようという一言で、私は力みが抜けて、Bへと進んだ。
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クラニオセイクラルやオステオパシーといった、人の体の全体性を重んじるような人体への施術方法では、骨をほんの少しだけ曲がっている方にさらに押したりする。ホメオパシーでも毒に同じ毒の波動を掛ける。
そこに働いているのは、多分、同じ原理だ。行きたいのに、何かで止められていて動けないとき、そのエネルギーは拮抗して固まったようになる。
拮抗は葛藤と同じ方向性。何かがぶつかったままいる感じ。
自分の中で抵抗や、葛藤が起こっている時、自ずとエネルギーは前へ動かず、そこでとどまるようにしてある。
せき止めずに動かしてあげれば、自動的に、それそのものが、ちゃんと動く。
その方向に、行かせてやること。
それは、それをものを「許す、認める、承認する」という行為でもある。
この許す、認める、それをそのままいかせる、という事は、なかなか難しい。私のDNA要素には、まったくもってそれがないかのような難しさが私にはある。血の中にない。その方法をなかなかどうして、体は覚えない。
できるようになるまで、それは繰り返し何度だって、試すように、来る。
私はそれが来る度に、その度、息を止めて抵抗する癖がある。息を止めている事にもなかなか気が付かない。
そうだ、力を抜くんだった。
成瀬先生の、肉体を超越した軽さを持つ笑顔と、人生を掛けた言葉の深みから来る響きが私の拮抗ポイントに、響いた。
私はそこで力を抜いて、あと少し、その沈みゆく放物線を感じた。
今、楽になった→ヨーガでは「落ち込んだここから這い上がるのではなく、もうちょっと落ちてみよう」と考えます。むしろ「どん底は最高だ!」と喜びました。/「ヨーガ行者の王」成瀬雅春さんが教える「日々を楽しく生きるヒント」 https://t.co/WW02EehgPU
— mari & tomoco (@maritomoco) 2016年5月29日